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鐘ヶ江管一ヒゲ市長の病気は脳梗塞だった!?現在は付けヒゲで雲仙普賢岳の○○! [爆報!THEフライデー]


1991年に雲仙普賢岳が噴火したのを覚えていますか?


この噴火で一躍有名人になったヒゲ市長こと
鐘ヶ江管一さんの特集が1月29日の
爆報!theフライデー』で放送されます。


今回はその鐘ヶ江管一さんの現在について
書いていこうと思います。






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鐘ヶ江管一のプロフィール


1931年1月22日 長崎県島原市出身

旧制島原中学(現・長崎県立島原高等学校)に進学するも
学制改革時に中退。


その後は実家の旅館「国光屋」の経営に従事。


1980年、島原市長に当選。1992年まで3期12年務める。


1991年に起きた雲仙普賢岳の噴火発生時は自ら災害救助活動、
国への陳情に奔走するなど、その姿が世間でも知られるようになり、
その見た目から「ヒゲの市長さん」と呼ばれるようになりました。



また、「復興するまでヒゲを剃らない」という発言も
話題になり、一躍時の人となりました。


しかし、実はそのヒゲは付けヒゲだったことを
カミングアウトするみたいです。


何でそんなことをしたんでしょうね。


キャラを立たせるためでしょうか。



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病気と現在の活動について


そんな名物市長だった鐘ヶ江管一さんですが、
病気に倒れたこともあるようです。


市長時代、持病の坐骨神経痛を
悪化させてしまいましたが、
大事には至らなかったみたいです。


そして今から4年前、81歳の時に
脳梗塞を発症し、治療を余儀なく
されました。


今は脳梗塞も乗り越え、以前のように
活動できているみたいですね。



病気を克服し、市長職を退いた現在は
噴火時の体験を生かし、全国で公演活動を
積極的に行っているそうです。


さらに2001年には勲四等瑞宝章を受賞し
2002年からは雲仙岳災害記念館の名誉館長に
就任しています。


現在85歳の鐘ヶ江管一さんですが、今も現役で
自分が体験した噴火の災害の恐ろしさを伝えるために
活動していることには本当に頭が下がります。





最後に


1991年の雲仙普賢岳噴火は43名の犠牲が出てしまった
大災害となりました。


そんな中、危険を顧みず救助に奔走した
鐘ヶ江管一さんは島原の人にとっては
ヒーロー的な存在だったのではないでしょうか。

その功績が評価され、現在の雲仙岳災害記念館名誉館長という
地位に上げたのでしょうね。



実は僕、ここまで偉そうに書いてきましたが
さっきまでこのヒゲ市長さんについて
まったく知りませんでした。


なので今夜の『爆報!theフライデー』で
鐘ヶ江管一さんとはどんな人物なのか
チェックしたいと思います。



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